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あーちゃんは、2004年7月3日 AM1:24に産まれました。
4012gの巨大児でした。
出産予定日は6月23日。
予定日を過ぎても陣痛らしきものがまったくなく、
なのにどんどん胎児の体重が増えていき
産むのがちょっぴり不安に感じるように・・・。
それまでは何も問題もなく妊婦生活を送っていました。
まさか、私の赤ちゃんに障害があるなんて夢にも思っていませんでした。
出産の前日、真夜中に破水。
あわてて芦屋のW産婦人科へ行きました。
羊水が出てしまわないように、ひたすらじっとしているように言われ、
12時間はそのままベットで身動きもとらず「早く出てきて!」と祈っていました。
しかし、まったく陣痛ははじまりません。
仕方なく陣痛促進剤を使う事になりました。
そして、ようやくはじまった陣痛。
痛かったけど、助産師さんのマッサージがうまかったのか、
陣痛と陣痛の間は眠ってしまうぐらいのものでした。
産まれる瞬間もそれはとても安産だったと自分でも思います。
そして、とてもパパは感動していました。
私も赤ちゃんに決めていた名前を呼び、涙したのを思い出します。
しかし私達は、次の日に、違う涙を流す運命でした。
赤ちゃんに異変があるというのです。
それは産院の先生では判断のつかないものでした。
血糖値が低く、臍帯ヘルニア(おへそから腸の一部が飛び出ている状態)、
特異な顔貌(鼻すじがなく前向きな鼻孔)が、その異変の内容だと簡単に教えてもらいました。
その産院の近くにたまたま住んでおられた、
こども病院の医師が赤ちゃんの様子を産院の先生から聞き、早朝に見に来てくれました。
私は動揺をかくしきれずずっと泣き続けていました。
命には別状のないようで、
来てくれた先生も笑いながら「泣かないで」と言ってくれましたが、
障害の2文字が頭の中をぐるぐるとまわり、
とても冷静に話しを聞くことができませんでした。
先生の話では、巨大児、低血糖、臍帯ヘルニア・・
などの点からベックウィズ・ウーディマン症候群ではないかということでした。
ベックウィズ・ウーディマン症候群は遺伝子異常のひとつで、
巨舌など身体的に大きくなったりなどの特徴があるらしいのですが、
知能は中ぐらいで個人差が大きいと教えてもらいました。
その話しを聞いている最中に、けたたましいサイレンの音が聞こえ、
私達の赤ちゃんは救急車に乗せられ、県立のこども病院へと搬送されていったのです。
産院の先生は、知能にも問題が出るのかもしれないと思っていたので、
私には「こういう子は純真無垢に育って行く」と励ましてくれていましたが、
(ベックウィズ・ウーディマン症候群の場合の)知能に問題があまりないと知ると、
手のひらを返すように、
「それは良かった!鼻が低いのは整形したらええやんか!」と笑っていました。
私は、その笑いにひきつった笑顔でしか笑いかえせませんでした。
この産院に入院中、赤ちゃんが側にいないという哀しさもこたえましたが、
看護婦の偏見のようなものにもすごく落ち込みました。
夜中、こらえきれず泣いている私に、
ある看護婦がなんでも話してと言ってくれたので、
「知能に問題がないし、命に別状がないし、
これから起きることも手術などで治って行くようなものであれば、
産んだその朝に告知をしなくてもいいのに・・・」
と泣きながら話しをしてみたのです。
そしたら、「そんなことはない。ちゃんと知っておくべきだと思う。
例えば、あの子ダウンちゃうか?って人から言われたら、
この子は違います!ってきっぱり言ってやれるやんか!」
と答えてくれたのですが・・・
私はすごくこの内容に違和感を覚えました。
ダウン症に対して偏見をもっている感じの看護婦に対して、
それは何かが違うとはっきり言い返すこともできず、
ただ泣き続けてしまった自分が今でも嫌になります。
結局、看護婦たちは、私がナースステーションに立ち寄っても、
背中を向けて私をできるならば避けたいという雰囲気になっていきました。
とてもつらい入院でした。
それよりも、もっとつらかったのは、赤ちゃんだったのかもしれません。
赤ちゃんは産まれてすぐにおっぱいを吸わせるため、私に少し抱かれただけでした。
そんなちょっとのだっこだけで、遠くの病院のNICUに転院していった赤ちゃん。
こども病院のNICU・GCUには、たくさんの優しい看護婦さんと頼もしい先生方がおられました。
だけど、心細かっただろうなと思います。
パパは、救急車で運ばれていく赤ちゃんを追って、電車でこども病院に向かい、
入院に関してのいろいろな手続や説明をうけてくれていました。
すぐにでも赤ちゃんを抱いてやりたかったでしょうけれど、
点滴や検査のため遠くから見守ることしかできなかったのでした。
後日、私も入院先の産婦人科からこども病院へ向かいました。
全然でてくれない母乳をなんとか搾乳して持って行くためでした。
おちついて赤ちゃんの顔も見ていなかった私、
やっと赤ちゃんに会えて嬉しいと思う反面、
これからどうやっていけばいいのか、
障害の程度は実際のところどのくらいなのか・・・
など先のことを考えてしまい涙が止まりませんでした。
病院につき、
GCUの中へ入る準備(手の消毒や白衣のようなものを着る)をし、
やっと赤ちゃんに会えました。
たくさんの小さめな赤ちゃんの中で
ひときわ大きくスヤスヤと眠っている赤ちゃんを見て、涙はとまりました。
白く透き通った肌色の顔を見てなぜだかとてもほっとしました。
手には点滴の管が残っていましたが、とても穏やかに眠っていてくれました。
看護婦さんに「抱いてもいいですか?」と聞いたのは、
ずいぶん赤ちゃんの寝顔を眺めたあとでした。
自分の赤ちゃんなのに許可を得なければいけないのは、なんだか変ですが、
ほんとうにどうしていいのかわからなかったのです。
点滴の管がついたままの赤ちゃんをおっかなびっくり抱かせてもらって、
身動きのとれないまましばらくの間抱いていました。
ただただ抱いていました。幸せだと感じました。
その後は、臍帯ヘルニアの手術もしましたが、
経過も良好なため約2週間の入院で退院となりました。
幸い、いのちに別状はないと判断されたからでしょう。
染色体の検査をするかどうか・・・どちらでもかまわないと言われましたが、
はっきり知っておきたいという気持ちがあったので、
赤ちゃんの染色体検査をしてもらうことになりました。
結果は、1ヶ月後にわかりました。
ベックウィズ・ウーディマン症候群ではなく、
染色体9番短腕の一部が欠失している・・・とのことでした。
「9p-症候群」という名前の染色体異常でした。
こども病院の医師には、「よくわからない」と言われましたが、
定期的に検査をし、経過を見守っていきましょうということになり、一安心したのでした。
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